富吉の歴史

富吉の歴史

富吉が料亭として開業したのは常磐線開通の十年後の明治三十八年頃。当時水戸街道に面し江戸時代より旅籠として営業をしていました中村右衛門さんより、旅龍時代の富吉を引き継ぎ、以後料亭として営業をつづけますが、戦時中と戦後には割烹旅館として営業をしていました。


「富吉」は、旧水戸街道沿に面し江戸時代から旅籠(はたご)として栄えてきましたが、1896年(明治29年)に常磐線松戸駅が開業すると一気に宿泊客が減っていきました。1905年(明治38年)に初代 石井常吉が「富吉」の店主中村右衛門氏から店を譲り受けて料亭を開業したのが始まりとなります。


第二次世界大戦が始まると、贅沢が禁止され料亭は続けられなくなり、昭和19年に旅館に戻し戦後もしばらく営業しました。戦前、藤ヶ谷にゴルフに行かれる途中の宮様が富吉に立ち寄り昼食をとられました。その時にお供をしていたスポーツ用品商が後に関西の各球団に富吉を紹介してくださいました。当時は米も政府統制下に置かれ配給制となっていたため、東京への遠征時には水道橋に宿泊していた関西の各球団も食糧不足に大変困っていました。


スポーツ用品商から噂を聞いた4球団は、江戸川ひとつ越えるだけで食糧が豊富にあった松戸の富吉に宿を求めました。富吉は、戦後間もなく5年ほど阪急ブレーブスの定宿になりましたが、あとの3球団は受け入れることができなかったため、松戸で営業していた旅館3軒、海老屋に阪神タイガース、根戸屋に金星ゴールドスターズ(現千葉ロッテマリーンズ)、松栄館に太陽ロビンス(現横浜ベイスターズ)をそれぞれ紹介しました。


この頃まだ中学生だった3代目社長の石井一郎は、野球ファンが店の前に毎日来ていたことや、選手たちにキャッチボールで遊んでもらったことをよく覚えております。このような縁で戦前戦後を通じて阪神タイガースで大活躍をした藤村富美男選手が後に結婚式を挙げることになました。他にも色々なエピソードがあります。


そして現在は旅館としての営業はしておりません。十年ほど前より気軽に日本科理を楽しんで頂ける和食レストランをオープンしております。料理は昔から日本料理が中心で中でも祖父の時代より受け継がれている「小鯛のけんちん蒸し」が絶品です。生前、高松の宮様よりもお褒めのお言景を頂いております。また三階にあります富吉の空中庭園も松戸では珍しい料亭のスタイルを守りつづけております。